春蚕の繭出荷。そして、南インドにいく二人を迎える。


先々週の土曜日、無事に春蚕の繭を出荷することができました。
今期は、温暖で雨も少なかったので、おかげさまで良い繭をとることができました。

問題は、7月1日からはじまる夏蚕です。
昨年は、高温にやられて散々な結果だったので、今年はリベンジを果たしたいと思います。(とはいっても、35度近い気温になってしまうと正直、お手上げなのですが・・・)

さて、先週まで、今年から青年海外協力隊として南インドの養蚕振興に携わるお二人の訪問がありました。

二人とも、養蚕についてほとんど知らない(桑すらも初めてみるような)状況で派遣されるわけですが、その二人の姿が、6年前、キノコ栽培のなんたるかを知らずして、「ネパールでキノコ栽培の普及に携われ」と命を受けた自分の姿と重なること、重なること。

ということで、かつて甘楽町や富岡市のキノコ農家さんがその技術と経営方針を自分に教えてくれたように、短い時間でしたが、渡せるものは渡しました。

結局、日本とインドのやり方はだいぶ違うので、現地でもしっかり学ばないといけないし、かといって技術職でもなく、技術指導というより農家グループの形成だったり、その組織運営の促進という点で派遣要請を受けているので、技術の習得それ自体にはある程度で見切りをつけないといけないとは思うのですが、、、やれることはやっておきたいですものね。


繭を収穫する前日だったので、せっかくなので出荷できない繭をはじきだす作業も手伝ってもらいました。

青年海外協力隊、自分もそうでしたが、このような二人に似た立場で派遣される人も少なくないのではないでしょうか。突出した技術があるわけでもなく、現地の言葉もゼロからのスタート、現地に踏み込めば、現地の環境にあった技術は現地の人がよく知っていること(それはそこで生きているのだから、当然なのであるが・・・)、現地にも優れた技術者がいることを知る。

そして、自らに襲いかかる無力感。
ちょうど、この頃くらいになると、語学もできるようになってきて、聞きたくない言葉や噂などが聞こえるように。。。

このように書くと、当時の自分を思い出し、あまり良い気分はしませんが、そのとき元農業改良普及員のJICA職員の方に教えてもらった打開策を紹介したいと思います。

ポイントは「農家は、案外他の農家さんのやり方や経営を知らない」という点です。

自分も養蚕を始めてみて思うのですが、やはりその地で生きている人は自分の畑や作業場で過ごす時間が多いわけで、なかなか他の人がどうやって作業しているかとか経営しているとか知りえません。(もちろん情報交換の場などは少なからずあるので、まったくのゼロではありませんが)

そのときに、フットワークの軽くいろんな農家さんのやり方を知っている存在がどれだけありがたいことか!かつて、養蚕が盛んなころ、養蚕の技術普及員は「先生、先生」と言われ、元普及員の方曰く「たくさん良い思いできたぞ~」とのことですが、多くの普及員の方はそのように農家さんの懐に入って、いろんなことを引き出していたのかと思います。

そのお世話になったJICA職員の方は、「(前提となる)技術・知識はもちろん必要。ただ、画期的な技術は少なく、知識や技術は初期の農民のアプローチのためのアイテム。本当の技術や知識は現場からしか生まれない(現場にある)」と言っていました。

自らを媒介にして、技術や知識が地域がかけめぐる、良いものは他のところに伝播し、そして、また「そんなやり方があるのか」と刺激を受けた人が、自らの環境・条件にあった第三の道を開くこともありえる。

自らが歩いて、いろんな農家さんと心を通わせれば通わせるほど、その動きは加速する。。。

「日本の技術、プリーズプリーズ」とか言ってくる農家さんって地域のなかでも珍しく、そういう人って勝手にでも情報をとってくるので、もちろん見知っておくことは大事ですが、一緒に活動する農家の大半は保守的で、「遠い異国の”先駆的な”技術より、○○村の□□さんのよい方法」なら試してみようかな~という人が大半でした。(自分+様々な人の経験から)

だから、「日本の技術しょ~か~い!」のような研修会ができなくても、みんなでお互いの畑を見あったりするということを促す(隊員がやろうと言うのではなく、現地の人が言いだしっぺであれがベストだけど、これは難しいのだろうか。。。)ような活動や現地の良い農家さんのやり方やその人自体を紹介するといったことができれば、生きる道があるわけです。

だから、技術・知識はちょっと・・・という隊員の方も、乱暴なまとめ方ですが、ないならないで根気強くいろんな人(活動に光をさしてくれる人は必ずしも現地や任地の村にいるとは限らない)と関係をつくり、現場をしつこく観察して、知らないことは果敢に聞き、頑張っていきましょう。

最初は、「こんなことも知らないのかこいつは。。。」と飽きられたり、言葉も分からず、質問してもせっかく答えてくれたことが分からないということも多々ありますが、そこで付き合ってくれた優しき人々は、かなりの確率で、キーマンになってくれるはずです。

と、ここまで書いてきて、一つ気付く。

彼らの要請、「技術指導というより農家グループの形成だったり、その組織運営の促進という点で派遣要請を受けている」だった。。。

自分で書いていたのに、どうしてこうなったんだろうか。

「いちOBのたわ言ですが、どこか響いてくれたところがあったら嬉しいです」と締めようと思ったのに、あらぬ方向にいってしまった。。。

グループ形成、その組織運営か・・・。

二年前、今回来た二人と同様に、自分のところにやってきて、夏蚕も一緒に乗り切り、南インドで養蚕普及に携わった隊員の方が今度、帰国してやってくるので、そのときにじっくりお話を聞いて、まとめることとします。

すいませんでした (/_;)

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